2016/12/06
井伊家の事を調べてみるとこの2つの家紋をよくみることがあると思います。あれ家紋が2つ?どっちが本当の家紋なの??と思う方は多いはず、私も最初そう思いました、実はこの2つの図形は井伊氏のルーツに関連があります。
そもそも井伊氏の歴史を遡ると井伊谷いいのや(現在の静岡県浜松市引佐町)が発祥の地となります、当時井伊谷は「井の国」と呼ばれるきれいな水が湧き出る土地でした。
井伊氏の初代共保(ともやす)はなんと、この井伊谷の井戸の脇に捨てられていたのを神主によって発見されたという伝説が残っています、そして赤子が捨てられていた井戸の脇には橘の木が生えていたそうな。。。
(ちなみにこの伝承が伝わる井戸は井伊氏の菩提寺として有名な龍潭寺(りょうたんじ)の真向かいにあり(歩いて2分です)現在も見ることができます。)
↑こちらの龍潭寺から向かいの道路を渡ると
↑田んぼの中にポツンと出現する伝説の井戸。
↑生誕の由来が書かれています ↓これが伝説の井戸!井戸の枠は井の字
成人した共保は地名に因み家名を「井伊」 生誕の縁で「井」の字を幕の紋に井戸の傍らに生えていた「橘」を家紋にしたそうです。なるほど。。。家紋は橘だけれども井筒(井の字)も同様に井伊氏にはゆかりの深い図形になっていたんですね、確かに龍潭寺にもこの2つの図形が並んで飾ってありました。(↓龍潭寺の境内)
しかし初代が井戸に捨てられていたなんてビックリ、千年近い歴史がある名門井伊氏にはこんな不思議な伝説があったようです。
参考文献:「井の国千年物語」(引佐町教育委員会)
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