井伊直虎特集 浜松市ワイピーピー公式ブログ

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地図で見る井伊直虎をめぐる戦国時代勢力図 川中島から桶狭間まで

time 2016/12/16

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当時、井伊直虎の領地は今川氏の勢力範囲内で遠江の井伊谷(現浜松市西部)という所にありました。小国だった井伊谷(いいのや)は戦国時代 地理的にどのような立場に置かれていたのか周辺の戦国武将勢力と合わせて見ていきたいと思います。今回は分かりやすいように地図を作製してみました。

井伊直虎戦国時代勢力図実は井伊氏は以前は独立した勢力の国人領主でしたがその後今川氏の家臣団に組み込まれたという経緯があります。(本意ではないが力の強いものに従うしかないという感じでしょうか)そこで今川氏を中心にこの地図を見ていくと戦いは主に2つのグループに分けられます。

地図上部 上杉 VS 武田,北条,今川  地図下部 織田 VS 今川,(松平)です。
甲相駿三国同盟
まずは上杉 VS 武田,北条,今川から見ていきましょう。当時の武田,北条,今川は甲相駿三国同盟を結び上杉氏と対立していました。上杉謙信は二正面作戦を取り、同時に武田,北条と戦っています。出来事で見てみると

1560年 9月 上杉が北条の厩橋占拠 (下地図の※2)
1561年  3月 上杉が北条の小田原城へ攻めるが陥落できず (下地図の※3)
1561年  9月  上杉と武田が第四次川中島合戦 (下地図の※1)
↓一番上の地図と同じもの
井伊直虎戦国時代勢力図
こうして見ると上杉謙信は短期間に精力的に戦い特に北条氏の勢力圏の多くの部分を獲得しています。
一方で甲相駿三国同盟により後方の安全を守られた今川氏は松平元康(徳川家康)を伴い1560年5月尾張の織田信長攻略のために駿河を出発。(地図の※4)このとき今川氏の家臣である井伊直盛(直虎の父)が今川群の先鋒として参加しています。

しかし!ご存知の通り桶狭間で今川軍2万5千に対してわずか2千ほどの織田信長の奇襲によって負けてしまい今川義元、井伊直盛(直虎の父)が殺されてしまいます。

この桶狭間の戦いは井伊氏にとって今後の大きな転換期となり、義元の後を継いだ今川氏真によりますます井伊氏は苦難に陥ることになります。こちらの話はまた別の記事で書いていきますね。

桶狭間の戦いは一般的には織田信長が少数の兵力で圧倒的に優勢だった今川義元を破った戦いとして有名ですが、今川勢の一員の井伊氏から見た桶狭間の戦いとはどういうものだったのでしょうかその後の影響を含めて今回見ていきたいと思います。ご存知の通り桶狭間にて今川義元は織田信長の奇襲により首を打ち取られます、誰も思いもよらなかったこの出来事に混乱した今川軍は敗北、それと同時に一緒に参加した井伊直虎の父直盛は討ち死にしてしまいます、この戦いは井伊氏にとって当主の直盛だけではなく一族重臣16名が死亡するという大きな犠牲を払っています。

追記:記事書きました!

同盟に関していうと戦国時代は各国で様々な同盟が結ばれ昨日の敵が今日の味方に、またはその逆も起こっています。今回、武田,北条,今川間で結ばれた甲相駿三国同盟も勢力関係の変化により桶狭間から約8年後、武田氏が今川領に侵攻するという形で破られています。状況を見極めて協力したり裏切ったりやはり戦国時代は目が離せませんね!

参考書籍
湖の雄 井伊氏(公益財団法人静岡県文化財団)
戦国大名勢力変遷地図(外川 淳)

閲覧ありがとうございました。
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