2016/12/06
井伊直虎が養子として育て大出世した徳川家康の家臣、井伊直政は甲冑や旗指物を赤一色で統一した赤備えを率いて「井伊の赤鬼」と恐れられていたのは有名な話ですが実はそのルーツは武田氏にあることをご存知でしょうか?
1582年(天生十年)家康は信長に従軍する形で武田氏を滅ぼした後(天正壬午の乱)、武田の旧領地駿河が与えられ、本能寺の変以降にも武田の旧領地であった甲斐・信濃のほとんどを手に入れることができました。
この際、武田の残った兵たちは家康に忠誠を誓うことを記した「天正壬午起請文(てんしょうじんごきしょうもん」を提出、兵の数は約800人。そしてその中の1割近くの74人がそのまま井伊直政の配下となったのです。
この赤備え隊はその後1584年(天生十二年)に小牧・長久手の戦いで大活躍し,直政はその戦いぶりを評価され一気に6万石に加増されています。そう、武田氏由来の赤備え隊は直政 大出世のキーアイテムだったのです。
ちなみに。。。
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参考:浜松市「赤備え」関連リンク
参考文献:「湖の雄 井伊氏」公益財団法人静岡県文化財団
このブログは井伊直虎ゆかりの地 静岡県浜松市の印刷屋ワイピーピーの公式ブログになります。