2016/12/06
息子信康と妻瀬名を失った家康は意気消沈する家臣達の前で、不甲斐ない自分では有るが駿河を取りたいから皆の力を貸してくれと、訴えます。その姿は昔直虎が井伊の民に等身大の自分をさらけ出し助けを求めた姿と重なります。
一方、万千代はというと武田との戦いで高天神城の井戸の水を切った功績を讃えられ二万石の加増となります。これは井伊谷と変わらぬ量、万千代は出世を遂げます。周りの家臣からも「万千代は変わった、来たばかりの頃は自分の手柄しか感がていなかったが今は徳川のお家のことを考えている」と評価されています。
そんな武田との戦いの中家康は相手の降伏を導き出す策を出し極力戦わない方法を考えます。その考えを万千代から聞いた直虎はかつて死んでいった但馬の
「私なら戦わぬ道を探りまする」
という言葉を思い出します。臆病者、卑怯者と罵れられても自分の信念を貫いた但馬の姿が直虎の胸に蘇ります。しかし
しかし現実は厳しく降伏を訴えてきた武田勢に対し織田は家康に降伏を受け入れるなと命じます。なくなく力ずくで攻め落とす家康、そして遂にその約1年後に武田は滅んだのでした。
【感想】
今回は徳川と井伊の立場の類似点を印象的に書き上げた回でした。
「織田に抑えられる徳川はかつての井伊を思い出す。」という言葉や“敵を味方とする”家康の策など武力を一方的に行使するのではない弱き者の目線で世を渡っていく姿は過去の直虎の姿に重なります。またここで以前からの直虎の「戦のない世を作り出したい」という願いは、徳川によって叶えてもらうという形を変えることになります
※出てくるセリフは一部要約もあります。あしからず
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